SE向いてないからとすぐ退職した私が復帰してフリーランスSEで飯食っていけるようになるまで1

著者経歴

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この記事のざっくり内容と対象読者

SEとして無能過ぎて死にたいと思っていた著者が、ニートになったり転職を繰り返したりしているうちにフリーランスSEとなり、ようやく理想の働き方を手に入れ日々充実した人生を送れるようになるまでを赤裸々に記事にしました。

具体的に人生の転機となったポイントで何をしたかは、また別の記事で書いていきたいと思います。

SEになってしまったが、自分は向いていないのでやめたい、死にたいと思っている2〜30代の方に、少しでも元気になってもらえたら嬉しいです。

著者の現在

1987年生まれ。SEとして約7年正社員で働いた後、2020/7〜現在までコードを書く作業がメインのフリーランスエンジニアで生計を立てている。

著者の暗黒経歴

人生最底最暗黒期の浪人時代

中学時代は文武両道で第一志望のそこそこ偏差値の高い公立高校に問題なく合格。

その成功体験から変な虚栄心を持ってしまい、一流大学以外は大学じゃないと思いこむまで偏屈になる。

しかし高校からは勉強が苦手になり高校卒業後に3年間も浪人生活を送る。

3浪目の10月からは精神崩壊して1秒も勉強しなくなり、第一志望を諦め、センター試験で受けられるいくつかの私立大学に適当に願書を出した。

諦めていたが、センター試験でたまたま知ってる問題ばかり出題され奇跡的に高得点を叩き出し、一応有名な私立大学の経済学部に入学できた。

暗黒大学時代

学内ニート生活

1年生の時はそこそこ真面目に勉強していたが、2年への進級時にゼミの面接に全て落ち、人生終わったとやさぐれ週休7日制を取ることにした。

毎日引きこもって朝6時までネット対戦ゲームをして、近所の吉牛で飯食って寝る、夕方4時くらいに起きて、そこから朝までニコニコ動画をダラダラ見たりゲームしたりの日々。

部活、ゼミ、サークルは何も入らず、親からバイトだけはやれやれ言われて嫌々始めた塾講師のアルバイトだけの大学生活。

テスト前にクラスメイトからノートをかき集め、泣きそうになりながら一夜漬けで単位取得していき、なんとか留年せずに卒業。

ゼミに入ってないので卒論もない。

3浪までしたのに合計7年も、人生の若い貴重な時間を本当に無駄潰した。

お父さんお母さんごめんなさい。。

苦痛に満ちた就職活動

「ゼミ、サークル、部活をやってなかったんですか?」と人事に聞かれ、そこで面接を切り上げられる日々。

つらすぎてIBS(過敏性腸症候群)を発症する。

電車に乗れなくなりメンタルクリニックに通い薬を大量に服用することに。

豆腐メンタルの為営業は無理なので、文系でも一応なれるSEを志望する。

一応有名大学だったので学歴だけで中小のSES企業1社だけ内定をもらい、もう就活したくなかったので即切り上げる。

将来に絶望した社会人1年目〜2年目

薬の副作用と戦った研修

3ヶ月研修を受ける。

内容はJava、JSP・Servlet。

しかしIBSの治療薬の副作用で尋常ではない睡魔に襲われ、全く頭に入らず。

入門書の6割も理解できてない状態で研修修了。

最初の客先出向へ

SES企業なのですぐに客先常駐。金融・証券システム系のIT企業の現場へ。

そこには自社の先輩は1人もおらず、超優秀な院卒同期と出向することになった。

コーディングは基本外注している企業だったので、開発経験は全く積めず。

八方塞がり

相変わらず薬の副作用がひどく、頭が全く働かない。

少しだけ既存システムのバグ改修などはやらせてもらえたが、JavaのWebフレームワークが全くわからず。

そこではSeasar2を採用していたが、HTMLもCSSもJSの基本すらもほとんど知識なかった。

使えなさすぎて案件外された。

このままじゃダメだとわかっているので自宅での学習を試みるも、何をしたら良いかわからない。

とりあえず何か作ってみようとするもエラーが解決できず挫折。

基本情報をとればなんとか仕事の話についていけるか?と丸暗記で資格を取るも、それで仕事ができるようになるわけがない。

仕様書、設計書を読んでも知識不足と睡魔で全く頭に入らず。

自社の先輩のいない現場で、メンバーは皆忙しく、気軽に質問できない。

出向を受け入れてくれたお客さんは、他社の新人なんぞ育てる気はさらさらない。

出向先の会社の新人が、同じ会社の先輩に挟まれて指導を受けているのを見て恨めしく思う日々。

同期からのパワハラ

対して同期は超優秀で、先輩の教育など不要で、まるでベテランSEのように振る舞い難しい設計等もこなしていく。

自社の上司から彼に私の面倒を見るように指示も入り、実質先輩後輩の関係になった。

彼は自分が成長できるライバルがいなくて辛いと私に嘆いてきたり、私と給料が同じであることも不満だと告げてくる。

他にも色々チクチクとバカにされたり嫌味を言われたり、イライラをぶつけられながらも、あれこれフォローしてもらっているので全く逆らえず。自尊心崩壊。

成長の実感ゼロ

とにかく辛かったのは、仕事をしていて成長しているとか、理解できるようになったとか、何か作れるようになったという実感が全くなかったこと。

コードを書かない。

内部設計(コード・アルゴリズム設計)をやらせてもらえたけど、他の人が書いたものを全く理解せずに真似するだけで何を書けば良いのか、書いたものがこれで良いのかさっぱりわからない。

自分で書いた設計も覚えられない。

使ってるDBの特徴、複雑なSQLの書き方もわからない。

インフラ、ネットワークの話も全くわからない。

会議中に話している内容に全くついていけない。

指示された内容がわからない。

。。。

一生このまま何もわからず30歳40歳になっても無能のままなんだろうな。

自分はチームに何も貢献できていない。

ただお客さんのお金を食いつぶしてるだけのゴミ。

TwitterでフォローしてるSEの人達は流行の技術の話をしている。

自分はそういう技術とは無縁のままSE人生を送るんだな。

死にたい

激苦デビュー案件からの撤退

自社の上司に会社を辞めたいと相談する。

このままでは私が潰れると判断した自社の上層部(もう潰れてるけど)。

その出向先から私だけ1年ちょっとで撤退した。

SEに向いてないからと血迷って自分はWebデザイナーになるんだと、Webデザインのスクールに大金払って通ってしまったりしていた。

(でもフォトショとイラレよくわかんなくて挫折)

いったん自社の案件に入る

自社で抱えていた炎上案件に3ヶ月だけヘルプとして入ることになった。

最初の1ヶ月は詳細設計という名の文章校正の作業を行う。

炎上していて先輩方がめちゃめちゃ忙しいのでロクに質問もできず。

2ヶ月目は念願の開発。でも未経験のCとC++。

この案件に入る前に某プログラミングスクールで1ヶ月だけCの講座を受けたけど、入門書レベルで実践にはクソの役にも立たない。

プログラミングスクールはゴミだと認識する。

ググってほぼコピペでなんとか動くものを作る。

これが合ってるのかはわからないけど、先輩のレビューはとりあえずヨシ!だった。

3ヶ月目は単体テストの作業。

毎日ほぼ終電帰りで1ヶ月の中で休みは3〜4日だったりで超キツかったけど、

なんだかんだコード書いてる時は楽しかったなと思えた。

再び先輩のいない客先へ出向

また自社の先輩のいない現場に放り込まれてしまう。

ここも大炎上中でまた質問しにくい。

しかもセキュリティがめちゃめちゃ厳しい現場で、ググることすらできない。

資料も先方からなかなか出てこず、仕様の把握もロクにできない。

過去の設計書を入手し、なんかフロー図とか書いたけど合ってるのか全くわからない。。

もう無理。やめてやる

2年目を受け入れてくれた客先にわずか3ヶ月で案件撤退することになるので物凄い引き止めにあったが、病気の悪化を盾にしてなんとか説得。

退職し、ニート生活へ。。

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